P国脱出記
緊急帰国
私はP国の辺境地帯で水力開発のエンジニアとして働いていた。
中国武漢から入国した中国人がコロナに感染していることが確認されたという情報を在P国日本大使館から受領したのは2020年1月25日のことだった。その後しばらくは新たな感染者に関する情報はなかったが、3月3日に同国内で5名の感染者が見つかったとの情報を受領した。わずか5名の感染者ということであったが、事態はその後急転する。
我々がいつも利用している航空会社は3月15日から運航を停止するという情報が3月13日に入った。また同国政府は3月16日から学校を閉鎖すること、国際線フライトの乗客には搭乗前にPCR検査を義務付けることなどのコロナ対策を矢継ぎ早に決定した。
ところがである。事態はまたまた急転する。政府は搭乗者にPCR検査を義務付けるという方針を早々と撤回し、同国発着の国際線フライトの運航そのものを21日から停止するというのだ。実質、猶予期間はなし。こんな無茶が許されるのかと怒ってみてもどうにもならない。ここにおいて私を含む同国滞在者は帰国の術がなくなってしまったのである。
この時点で同国ではパンデミックは報告されていなかった。しかしコロナは全世界に拡散しており、当然のことながら同国が安全などという保障はまったくない。それどころか同国は途上国であり多くの住民は貧しい。当然医療体制も整っていない。もし1人でも感染者が出ればあっという間に感染が広まることは自明であると思われた。自分たちも安全でいられる保障はない。しかしいわゆる3密を避け、手洗いマスク着用を励行することくらいしかできることはない。このような対策を実施しながらも内心は不安であった。
紆余屈折
救いの手は4月5日に差し伸べられた。この日、当地の日本人会から帰国のチャーター機を運航するので搭乗希望を問い合わせるとのメールが届いた。私の職場では、60歳以上の人は感染の危険性が高いことから帰国が可能になれば優先的に帰国させることが決まっていた。60代の日本人は私を含め2名。そのほかに出張で滞在していて帰国できなくなっていた人が1名。この合計3名が帰国することになった。当初の予定ではチャーター機は早ければ4月11日に出発するということであったが、4月12日の昼頃に同国最大の都市を出発し、首都を経由して帰国することになった。我々が搭乗する首都の空港出発予定時刻は同日深夜23:50頃ということであった。
4月10日中に航空運賃を航空会社の窓口で現金またはカードで支払うこと、インターネットバンキング等での振り込みは受け付けないという航空会社の方針の通知を受け取ったのは4月9日であった。ずいぶん急な話ではあったが4月10日には首都に滞在していた人を通して運賃を支払い、何とか間に合った。
航空会社との交渉がまとまったのは日本人会、大使館の方々のご尽力のたまものである。また大使館の方には我々が空港までトラブルなくたどり着けるよう、口上書を作成していただいた。交渉や様々な手続きにご尽力いただいた方々に深く感謝申し上げる次第である。
なにはともあれ帰国できることになった。フライトは4月12日深夜の予定であるが、空港にたどり着くまでの間にトラブルがあって到着が遅れたりすればこれまでやってきたことが水泡に帰す。そのため余裕を見込んで勤務地を11日に出発することとした。11日は首都のホテルで一泊し、12日の夕刻に空港に到着し搭乗券を受け取った。席は67Aということであった。
出発は少し遅れ、搭乗したのは日付が変わった13日であった。ところが搭乗してびっくり。なんと座席は57列までしかないではないか。客室乗務員、といっても全員男性、に「どないなっとんや」と聞いてもらちが明かない。するとすでに着席していた乗客の方から、「座席数には十分に余裕があるから空いている席に座ればいいんですよ」と言われ、57Cに着席する。隣の席には結局誰も来なかった。乗客数は120名程度に対し、使用機は座席数300はあるBoeing 777で余裕は十分にあったのだ。
ハプニングの末何とか帰国
搭乗機は1:30頃離陸し、成田に直行した。成田付近までは順調な飛行が続いたが、到着直前に事態は一変する。空港付近で海上を何回も旋回し、なかなか着陸しない。相当天候が悪いようで、機はものすごく揺れる。それでも機は降下し、もう少しで着陸と思った瞬間一転して急上昇。悪天候のため成田には着陸しないとのアナウンスがある。その後しばらく雲の上を飛び続け、着陸したのは仙台であった。雨が激しく降っている。チャーター機に搭乗したのが初めての経験なら、空港の直前で着陸を断念し他の空港に着陸したのも初めてであった。初体験づくしだ。
仙台で数時間待機し、天候の回復を待って再び成田へ向かう。今度は着陸できた。着陸したのは21:00頃だった。着陸の直前、日本人会の方から乗客と、コロナの危険を顧みず航空機を運航してくれた航空会社のクルーに対し感謝の言葉が述べられた。謝辞終了後、機内は大きな拍手に包まれた。
入国前に機外で検疫があった。検疫は60歳以上の人から行うという配慮があり、最初に受けることができた。入国し、荷物を受け取ったのが22:00頃、それからハイヤーで都内に向かい、ホテル到着は23:00頃だった。それから2週間に及ぶホテルでの滞在が始まった。日本での食事は久々だ。現地と比べれば涙が出そうなくらい美味だ。その後も体調に問題なく2週間後に無事帰宅した。
今回の帰国は日本人会、大使館、領事館並びに航空会社の多くの方々のご尽力があったからこそ実現できたものである。ご尽力いただいた皆様にあらためて謝意を表し、拙文を締めくくりたいと思います
【河内】