土木業界一筋で築いてきた
43年のキャリア
自己紹介をお願いいたします。
河内和博と申します。私は1979年3月に大学の土木工学科を卒業し、ゼネコンの間組(現:安藤ハザマ)に入社しました。すぐに水力発電所の現場に配属され、その後設計部では、ダム、水力発電、河川工事などの施工計画・設計に携わりました。
2005年にハザマを退職してコンサルに転職し、海外で日本企業が工場建設を行う際のコンストラクションマネージャーも経験しています。
そして2010年、JEM設立と同時に入社しました。インドネシア、フィリピン、パキスタンで主に水力発電の施工管理や技術指導に携わり、現在に至っております。
この業界に入ったきっかけは何でしょうか?
高校2年生の時に、修学旅行で黒部ダムに行ったことでしょうか。ダムの上を実際に見て歩き「土木ってすごい」と思ったのが最初のきっかけかもしれません。もう、50年近く前の話ですけどね。
JEMとの出会いは12年前です。当時の政権の「脱ダム政策」で、勤務先の仕事がなくなってしまいまして。ちょうどその時にJEMが設立され、ハザマ時代の元上司だった社長から誘われて入社しました。当時から 海外志向は強く、これまでの経験も活かせるということで「まさにうってつけだな」と感じたわけです。
プライベートはどのように過ごしていますか?
この10年間ほとんど海外にいるので制約はありますが、部屋で音楽を聴いたり、電子書籍を読んだり、たまに日本のテレビを見たりしています。お酒も好きですが、海外では貴重品なので少しずつ楽しんでいますね。
家族は家内と娘が2人、孫が1人います。コロナ禍以前は3ヶ月〜半年に1回のペースで帰国させてもらい、一緒に過ごしていました。
入社2年目の痛恨の失敗が、
今の姿勢に活きている
これまで印象に残っているエピソード、失敗談があれば教えてください。
若い頃は失敗だらけですが、特に記憶に残っているのは、ハザマに入って2年目の頃、測量ミスをしてしまったことです。
現場の先輩からは「測量の時は、既設の構造物でも必ず位置関係を直接測って確認しろ」と言われていました。しかし、その時は確認を怠ってしまったわけです。ダム建設の仕事で、結果的に作ったコンクリートを相当量壊すことになってしまいました。
当時は苦しかったですね。でもその 経験があったからこそ、以降は必ず徹底して確認するようになりました。痛い目にあった人間は慎重になりますから。エンジニアにもインスペクタにもしっかり教育し、大事な場面では自ら直接確認しています。
私なりに、山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」を実行してきたつもりです。すぐに好転することはないので、一歩一歩やっていくしかないですね。何より、 一番大事なのは「工事を前に進めること」です。
また、安全についても日本の感覚とは大きな差があります。無事故で工事を終わらせることは非常に重要ですが、実際に現場で立ち会うと、危険行為や不安全行動が目立ちます。指摘してもなかなか改善されず、難しい課題だと感じています。
その国に対する知識やリスペクトを忘れずに
これから海外で働く方に、伝えたいことはありますか?
第一に、 現地の文化や風習、その国に対するリスペクトが大切だと思います。そして、日本との歴史的関わりの大筋ぐらいは知っておいた方がいいんじゃないでしょうか。
我々は「仕事をさせていただく」立場です。行く先はほとんどが途上国で、貧しい地域も多いですから、受け取る報酬は向こうの基準からすれば相当な高額。このことを忘れてはいけません。
現地のエンジニアと知識レベルに差があると、つい上から目線になったり、横柄な態度になったりしがちですが、そうならないよう自戒することも必要だと思います。
あとはやはり、ローカルスタッフとのコミュニケーション。一方通行、まして頭ごなしの姿勢ではいけません。いくら言葉が思うように通じなくても、きちんと意見を聞いて対応すること。 やっぱり結局は人間関係ですから。
海外の現場で仕事をしていると、多くの問題に遭遇します。苦労は絶えませんが、地道な行動を重ねて工事が前に進めば、自分の仕事が役に立っている実感があります。そして何年もかけて無事に竣工した際には、社会に貢献できたという大きな喜びを味わえますね。
人々の幸福のため、
生涯現役で海外勤務を続けたい
今後の人生について、どのように考えていますか?
昨年で65歳になりましたが、幸い特に健康上の問題はないので、今しばらくは海外勤務を続けていきたいと思っています。その方が、体も頭も老化を防げるでしょう。海外のメンバーでは70歳を過ぎても十分現役で働いている人もたくさん知っています。
このような機会を与えてくれたJEMという会社には感謝しています。経験を活かしてお役に立てることは喜びであり、土木屋冥利に尽きます。これまで水力発電に携わってきましたので、自分が関わったプロジェクトが完成して電気を生み出し、人々の幸福につながるところを見届けられれば最高ですね。